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オペルについて

オペル(Opel 、正式社名:アダム・オペル、Adam Opel GmbH )は、ドイツ・ヘッセン州リュッセルスハイム(Russelsheim )を本拠とする自動車メーカーである。

1929年以降、80年にわたってゼネラルモーターズの100%子会社として同社のヨーロッパにおけるビジネスを担ってきたが、2009年6月1日に同社が連邦破産法11条の適用による経営破綻を迎える見通しとなり、オペルはカナダの自動車部品会社マグナ・インターナショナルなどの企業連合に売却されることとなった。

創業者はアダム・オペル(1837年-1895年)。ミシン、自転車の製造を経て、創業者没後、5人の息子達によって1899年に自動車製造を開始。ルッツマンやフランスのダラック車をライセンス生産して技術を修得し、1902年に独自開発車を完成(一方でモーターサイクルも製造したが、後年に事業をNSUに売却している)。この後、大衆車「ラウフプロッシュ(『雨蛙』。シトロエンから設計が酷似していると訴えられた)」等の成功でドイツ国内の大手自動車メーカーとなるが、アメリカ資本流入が激化した1931年、GMの完全子会社となった(第二次世界大戦中にGMはナチスの圧力で権利を放棄し、「ブリッツ」トラック等を製造していたが、1948年にGMが権利を回復した)。

大戦後、競合するフォルクスワーゲンのVWビートルの対抗車を永らく出現させていなかった。1962年、新設のボッフム工場生産で新型「カデット(『士官候補生』。戦前にあった名称の復活)」を登場させ、ビートルと熾烈な競争を展開した。このカデットは、FRの極常識的な設計ながら、手頃な価格や広い室内とトランク、信頼性の高さで人気を得た。以後、オペルは中型車「レコルト」とその上級仕様「コモドーレ」、大型車「アドミラル」/「ディプロマート」も擁し、ヨーロッパ有数の自動車メーカーに成長した。

1970年代、親会社GMは自身が進めていた『一つのプラットフォームから、世界中で販売出来る車種を設計する』「グローバルカー(世界戦略車)構想」の開発基地としてオペルを抜擢した。その流れから、Tカーとして構想された第3世代のカデット(通称:カデットC)はいすゞ・ジェミニや「シボレー・シェベット(アメリカとブラジルでは仕様が異なる)」などのバリエーションを登場させた。

1980年代、日本のメディアに「日本車の刺客」と騒がれたアメリカ製小型車シボレー・キャバリエ等のベース車となったのが、1983年「グローバルカー構想」の第2弾Jカーとして登場したアスコナの第3世代(アスコナC)であり、この日本版はいすゞ・アスカである。イギリスでは、オペル車の一部が、同じくGMの完全子会社であるヴォクスホールのブランド名で販売されている。

2008年の世界金融危機によってGMの売り上げ台数は大きく落ち込み、2009年5月下旬には連邦破産法11条の適用による経営破綻がもはや避けられない状態となった。これに伴いGMは新たな売却先探しに着手し、フィアットなどいくつかの候補が挙がった後、同年5月30日にカナダの自動車部品会社の大手マグナ・インターナショナルやロシア国営銀行ズベルバンクなどが参加する企業連合へ売却されることが決定した。

第二次世界大戦前の時期においては、1927年(大正10年)に大阪市大正区に工場と共に設立された「日本ゼネラル・モータース」が販売を行った。しかし、同大戦の勃発に伴い1941年に閉鎖となった。戦後は、1950年代から東邦モーターズが日本総代理店となり、輸入、販売を行った。一時は堅実なブランドとして一定の支持を集め、「お医者さんが乗るクルマ」というような上品なイメージを獲得した。しかし、元々オペルは実用性と信頼性を重視した地味で堅実な車づくりが身上であり、個性やステイタスといったものを追求しているメーカーではない。そのため、自動車趣味の対象にもならず、1960年代後半に入り、日本車の品質が向上すると市場での競争力を失い、次第に支持を失う。その後、日本の排気ガス規制をクリアできないため、GM本社の方針もあり、1976年末をもって輸入が中断されたが、それは、高いコストを掛けて排気ガス対策を施しても、販売台数がそれに見合う台数に達しないという事でもあった。

東邦は、輸入が途絶えた後も輸入権を保持していたが、1983年、マンタを皮切りに輸入再開。その後、アスコナ、レコルト、セネター、カデット、コルサ(日本名は異なる)などを輸入したが、いずれも少数限定枠を利用しての輸入にとどまり、輸入再開後、東邦が輸入した車種では型式認定を受けて本格的に輸入されたものは無い(型式認定が必要なほど数が出なかったとも言える)。1989年からはオペルと同じGMグループであったいすゞ自動車も輸入販売を行ったが、取り扱い車種は、ベクトラ、オメガ、セネターに限られ、その他の車種は東邦が輸入を続けた。

1992年末をもってフォルクスワーゲン、アウディの輸入、販売から撤退(現在は子会社が販売している)したヤナセがその代わりとして、1993年に輸入権を取得。輸入元はヤナセに一本化され、東邦といすゞは輸入を中止した。ヤナセでは、べクトラ、オメガ、アストラから販売を開始し、1994年からは、カリブラがラインアップに加わった。最初に輸入されたカリブラは、カリブラターボであり、空冷式インタークーラーを備えたターボチャージャー付の2リッターツインカムエンジンに、6MTとビスカスカップリング式センターデフによるフルタイム4WDを備えた、当時のオペルとしてはある種のフラッグシップモデルであった。このカリブラターボの輸入販売は2年間で終了した。

1995年には、FF方式のカリブラの輸入開始とともに、コンパクトカー「ヴィータ」を発売し、エアバッグやABSなどを装備しながらも、輸入車としては低価格だった150万円台から販売されたことから爆発的なヒットを記録した。また、同年には自動車メーカーとして初めて日本語の公式ウェブサイト(www.opel.co.jp)を開設した(日産自動車がオペルに続いた)。ヤナセの販売力と低価格を背景にオペルの販売台数は急増した。しかし、故障が多いことがユーザーに知られるようになると販売台数は急減した。

2000年になり、輸入権は「日本ゼネラルモーターズ」に移管された。2001年、GMは日本での直営ディーラー網「GMオートワールド」を設立。オペルの販売を巡ってヤナセとの間に確執が生じた。GMは、タイで現地生産されているザフィーラを富士重工業に供給。タイ製ザフィーラは「スバル・トラヴィック」の名称で、ヤナセで販売されるザフィーラより低価格で販売された。ヤナセはオペルから他社ブランドに販売の力を移し、オペル取扱店を削減した。一方の日本 GMは販売網の確立に失敗し、結果的にオペルの販売台数は激減した。日本GMは低価格モデルであるヴィータの輸入を打ち切り、それまでの低価格路線を変更して価格を値上げした。しかし、ベンツやBMWに価格帯が近づいたことで、オペルの販売台数はさらに低迷。故障が多く修理費用も割高であること、中古買取価格(リセールバリュー)の低さなどが消費者に認知されるようになったこと、更には、1990年代からの輸入車ブームで目が肥えた(実質的な価値よりもブランド的価値を重視する)日本のユーザーからは「フォルクスワーゲン・ベンツ・BMWと比較して地味で、高級感に劣りプレミアム性に欠けるブランドである」と認知されてしまい、実質的にフォルクスワーゲン、ベンツやBMWに劣らない性能を持つことも評価されることが少なく、販売は激減した。(新車登録台数:1996年約3万台→2005年2000台未満)

ブランドの価値が崩壊し、もはや日本での販売を維持することができなくなったこと、親会社であるGMの経営悪化などの理由から、GMアジア・パシフィック・ジャパン(GMAPJ)は2006年5月8日に、在庫限りでオペルのすべての車種の新車販売を終了すると発表した(一部車種を除き、メンテナンスは継続する)。GMAPJは「オペルはGMの欧州地区限定ブランドとして生き残っていく」と発表した。