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フォードについて

フォード・モーター・カンパニー(Ford Motor Company、NYSE:F)は、世界の自動車王ことヘンリー・フォード一世が1903年6月16日に創業した、アメリカ合衆国ミシガン州ディアボーン(デトロイトの近郊都市)に本社を置く自動車メーカー。いわゆるビッグスリーの一つである。

フォーチュン誌が選ぶ世界500大企業(粗収益ベース)の2007年版では、全世界での収益が1601億ドルで、アメリカ企業の7位にランクされた。2006年時点で年間660万台の自動車を生産し、世界100か所の施設・工場で28万人を雇用している。世界恐慌を乗り越えることができたアメリカでも数少ない自動車会社であり、100年にわたり一族支配を継続している世界最大級の家族経営会社でもある。

フォードは自動車の大量生産工程、および工業における大規模マネジメント(科学的管理法)を取り入れたことで20世紀の産業史・経営史に特筆される。特に1913年、組み立て工程にベルトコンベアを導入し流れ作業を実現したことは有名である。大量の自動車を早く生産できる高効率の工場設備、士気を高める高給料の工員、一台当たりの生産コストの革新的な低減を組み合わせたフォード生産方式は「フォーディズム」の名で世界的に知られるようになった。

ヘンリー・フォードは2度自動車会社の起業に失敗したが、3度目のこの会社は1903年6月16日の創業から現在まで続いている。当時40歳の彼は12人の投資家から現金2万8千ドルを集めて再起を期した。特に重要な投資家はダッジ・ブラザーズ自動車の創立者、ジョン=フランシス=ダッジとホラティウス=エルジン=ダッジのダッジ兄弟だった。

フォード・モーターは『A型』と名付けた車から製造販売をおこない1908年のS型に至った。S型に続き1908年から製造販売された『T型フォード』は大量生産時代の自動車製造スタイルおよびそれに付随する全米規模でのアフターサービス体制を形作った最初の車となり、現代の自動車産業の原点としての意味で名車といわれている。

フォード開業当時のモデルはデトロイト市内のマック・アベニューにある貸工場で生産され、部品を自動車へ組み上げる作業を1台当たり2・3人の工員が数日かけて行っていたが、フォードではそれまでばらつきのあった部品をマイクロゲージを基準とした規格化によって均質化し、部品互換性を確保することに成功していた。T型フォードは初めての自社工場であるピケットロード工場を利用し、フル生産開始の1909年には1年間で1万8千台もの台数を生産した。廉価なT型への需要が急増すると、フォードはさらに大型のハイランドパーク工場を建設し、1911年の稼働時には年7万台の生産を可能とした。フォード社は流れ作業システムや大量生産に必要な技術・管理方式を開発し、1913年には世界初のベルトコンベア式組み立てラインを導入した。部品の簡素化・内製化、流れ作業による工員の間での分業化により、たとえば車体1台の組み立て時間は12時間半からわずか2時間40分に短縮され、年生産台数は25万台を超え、1920年までに100万台を突破した。

戦前には、横浜市の子安にアジア初のフォードの製造工場が存在していた。1925年からT型フォードのノックダウン生産を開始し、乗用車やトラックを年産1万台生産する国内最大のメーカーであった。しかし1936年、日本政府は自国の自動車産業の保護育成を目的とする「自動車製造事業法」を制定した。この法律により、国内資本が50%以上の企業のみ自動車製造が許可されることになり、100%アメリカ資本だったフォードは1940年に操業停止を余儀なくされる。

太平洋戦争中の1941年から1945年の期間、工場設備は日本政府に接収されたが、戦後の連合国軍の管理を経て1958年までにフォードに返還された。現在、この一帯(子安地区)はマツダのR&D(研究開発)センターとなっている。

戦後の日本でのフォードビジネスは「フォード自動車(日本)」「オートラマ」を経て現在は、「フォード・ジャパン・リミテッド」がフォード車の輸入・販売を行っている。

1979年11月には日本の中堅自動車メーカー、マツダと資本提携し、マツダの株式の24.5%を取得した。その後、日本経済のバブル崩壊や自動車販売網5チャンネル化の失敗などによりマツダの経営状態が悪化したので、1996年5月にフォードはマツダへの出資比率を33.4%に引き上げて自社の傘下におき、役員を送り込んでマツダの経営再建に関わった。現在フォードはマツダへの出資比率を13.8%へと引き下げているが、両社の戦略的提携関係は継続している。

フォード・ヨーロッパは、同じ「フォード」の名称を使っているが、フォードの北米部門と欧州部門の販売車種、経営方針、ブランド戦略は殆ど別物と思ったほうがよい。マッスルな車を重視する北米部門に対し、質実剛健な車を重視する欧州部門といった具合である。ただし、日本などでは北米部門と欧州部門の区別が付いていない人が多いとされる。

現在販売不振に喘ぐ北米部門とは対照的に、地道に販売好調が続いているのが欧州部門である。こちらもフィエスタ、フォーカス、モンデオなど大ヒット作を多く輩出した。